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大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)3518号 判決

原告 株式会社優文堂印刷

被告 国

訴訟代理人 上杉晴一郎 外一名

主文

原告の、別表7の内国家補償請求印紙代二七、九七五円、訴訟印紙代五、三〇一円に関する損害賠償を求める訴を却下する。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

第一、本案前の判断

原告の、別表7の内国家補償請求印紙代二七、九七五円、訴訟印紙代五、三〇一円に関する損害賠償の訴についてみるのに、本件記録によると、右国家補償請求印紙代二七、九七五円は本訴訴状に貼用した印紙二七、四五〇円と訴状提出と同時に予納した郵券五二五円との合計額であること、右訴訟印紙代五、三〇一円は本訴昭和六年一月一〇日付訴の変更申立書に貼用した印紙五、四〇〇円の一部であることが明らかである。しかし、訴状等に貼用した印紙額、訴訟上送達に要した郵便料は、民事訴訟費用法により訴訟法上訴訟費用として規定されているところであつて、原告勝訴の場合被告の負担となるべきものであるから、違法行為による損害としてその賠償を請求することは許されないと解すべきである。原告の右訴は法的利益を欠くから不適法として却下すべきである。

第二、本案の判断

一、請求原因一の事実(米井執行吏に対する本件強制執行の申立)は当事者間に争いがない。

二、まず昭和三五年七月四日本件強制執行当時における本件建物の占有状態についてみる。

旧会社が本店所在地を昭和三四年三月三一日大阪市北区黒崎町四九番地から同市旭区大宮町五丁目四五番地に移転した旨の登記を同年四月六日にしたこと、訴外興陽紙業株式会社がこれより先同年二月六日本件建物について所有権移転請求権保全仮登記を経たこと、原告会社が同年七月三一日設立され、設立当初訴外藤原保男は原告会社の取締役をしていたことは当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実、〈証拠省略〉を総合すると、次のとおり認められる。

(イ)建物とその敷地大阪市北区黒崎町四九番地の一二宅地一二〇九九平方メートル(三六坪六合)は藤原サチヨら三名の共有であり、(ロ)建物とその敷地同町四九番地の一宅地四八・九二平方メートル(一四坪八合)は藤原サチヨが所有していた。(イ)建物は、階下に工場、物置場、通路、便所、階上に事務室、製品置場、押入付き部屋、便所がある。(ロ)建物は、(イ)建物の西側に密着した建物で、階下に工場、階上に活字室、廊下、製版場があり、階上階下とも(イ)建物の階上階下と同じ高さの床面で、それぞれ出入自由である。階段は(イ)建物内に二ケ所あるが、(ロ)建物内にはない。(イ)建物は階下北側に二ケ所、(ロ)建物は階下北側に一ケ所各出入口があるが、右合計三ケ所の出入口の内中央一ケ所のみ屋外から施錠し、他二ケ所は屋内から施錠するようになつていた。本件建物は、(イ)建物と(ロ)建物が右のような関係にあるため、登記簿上二個の建物であるのに、一見して一個の建物であると認識できない状態にある。

旧会社は藤原サチヨの夫である藤原保男が経営していた印刷会社であるが、本件建物を本店事務所ならびに印刷工場として使用してきたところ、昭和三四年二月頃経営に行き詰まり営業を続けることができなくなつた。そこで旧会社の債権者の集会が開かれ、その話合の結果、大口債権者の訴外興陽紙業株式会社、訴外鹿野紙業株式会社が資金を出しあい、役員を送り込んで、同年七月三一日旧会社のいわゆる第二会社として、本件建物所在地大阪市北区黒崎町四九番地を本店所在地とする原告会社を設立し、本件建物において旧会社の使用していた印刷機械類により原告会社をして操業させることにした。原告会社は旧会社に替つて翌八月頃から本件建物階上事務室に本店事務所を設け、階下工場にあつた印刷機(手差式菊全判オフセツト二馬力モーター付)二台外一二台計一四台を操作し、原告会社において雇用した工場長訴外石田弥三治以下工員事務員およそ十名程に平日午前八時から午後五時まで、残業時は午後八、九時頃まで通勤で従業させ、終業後は、本件建物の前記出入口全部を施錠させ、屋外から施錠する前記中央出入口の錠を石田弥三治に保管させていたもので、本件建物に宿直員はおかず、又何人にも居住させていなかつた。しかし、原告会社は旧会社の倒産という異常事態から発足し、設立当初から本件建物、前記印刷機械類の使用を当然のこととしてすくなくとも、黙示的に許諾されていたが、藤原サチヨら三名との間における本件建物賃貸借契約や旧会社との間における前記印刷機械類の賃貸借契約を締結したような形跡はなかつた。

藤原保男は、原告会社が旧会社の得意先をうけついだ関係等から、原告会社の設立以来その取締役の一員とされ、大阪市西成区方面の自宅から随時原告会社事務所に出勤し、注文取り等外交関係の事務を担当していた。そのうち、原告会社が使用中の前記印刷機一四台の帰属について紛争が起り、興陽紙業株式会社の申請により、原告会社ならびに既に清算手続に入つていた旧会社に対する前記印刷機一四台の現状維持仮処分決定が発せられ(大阪地方裁判所昭和三五年(ヨ)第八五四号)、昭和三五年四月七日付で本件建物内階下北側壁面に同裁判所執行吏二反田正三代理今西義充の執行に基づくベニヤ板の右仮処分公示札が掲げられた。藤原保男は同月一二日原告会社の他の役員、すなわち旧会社の債権者側の者と意見が合わず原告会社取締役を辞任した(同月二〇日その旨登記)が同月一一日頃、旧会社清算人訴外拭石久太郎から内容証明郵便で原告会社に対し本件建物(内階上の一部を除く。)の明渡を求めたことがあり、その他藤原保男側において原告会社の商号の看板や施錠を外したり、立入つたりして、本件建物の使用を妨げ、これをやめさせようとする挙動に出たので、原告会社の申請により、同月二五日藤原保男及び旧会社に対する本件建物立入その他原告会社の本件建物占有を妨害する行為を禁止する仮処分決定が発せられた(大阪地方裁判所同年(ヨ)第一、〇五四号)。

次いで同年五月二三日堺簡易裁判所において申立人宝泉商工、相手方藤原サチヨら三名間の起訴前の和解事件(同裁判所同年(イ)第三一号)につき、藤原サチヨら三名が宝泉商工に対し連帯して五三二、九五九円の支払義務あることを認め、これを同月三一日限り支払うことにし、もし右債務不履行のときは右債務の履行に代えて本件建物同敷地の所有権を移転し、直ちに本件建物を明け渡す(同敷地を引き渡す)旨の和解が成立した。しかし、藤原サチヨらは右債務を履行しなかつた。

以上のとおり認められる。〈証拠省略〉はいずれも信用できず、ほかに右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

上叙事実によると、原告会社が昭和三四年八月頃、旧会社債権者に満足を得しめる事業を遂行する目的で、藤原サチヨら三名ないし藤原サチヨから本件建物の使用を許諾され、その直接占有を始め、以来本件強制執行のあつた昭和三五年七月四日まで右直接占有を継続したこと、旧会社がおそくとも原告会社の右直接占有開始時までに本件建物を退去し、その直接占有を失つていたこと、藤原保男側で原告会社の右占有の妨害を試みていたことを認めることができる。この状態のもとで本件強制執行が行なわれたというべきである。

三、つぎに本件強制執行について、いわゆる明渡執行の予告から執行終了までの間の経緯についてみる。

米井執行吏が昭和三五年六月三〇日いわゆる明渡執行の予告の手続をしたこと、同執行吏が同年七月四日本件建物内の一切の動産(但し、仮処分中の物件《印刷機械類》を除く。)、を本件建物の北側路上及び東側空地に搬出したうえ、宝泉商工代理人に安部里見に本件建物同敷地の占有を取得させたことは、当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実、前示〈証拠省略〉を総合すると、次のとおり認められる。

米井執行吏が昭和三五年六月三〇日に行なつた、いわゆる明渡執行の予告の手続は、執行関係法令上要求される手続ではないが、不動産明渡強制執行が債務者に対する影響が多大であること等の特殊性から、通常、不動産明渡執行をする日よりも前に、執行吏がなるべく任意の明渡の行われることを期し強制執行の断行を避けるようにする目的から行なつている手続であり、あわせて他日行われるべき強制執行に先立ち執行目的物件の占有状態等をあらかじめ調査する意図をも含む手続であつて、本件強制執行の場合も、米井執行吏は通常の例に従つて、これを行なつた。同日、米井執行吏は宝泉商工代表取締役藤原馨、宝泉商工から雇われ本件強制執行において宝泉商工の代理人をした、いわゆる執行屋(または事件屋という。)訴外安部里見の両名に案内され、午後六時五分頃、本件建物に臨んだ。本件建物には原告会社その他の者の表札や看板は掲げていなかつた。原告会社はすでに同日の業務を終え本件建物に施錠し、その従業員はいなかつた。米井執行吏は、本件建物の施錠した入口附近の屋外にいる藤原サチヨとその夫藤原保男に出会した。藤原夫婦は、宝泉商工からその時刻頃に明渡執行の予告のあることを知らされ特に同所に待機していたものであるが、米井執行吏はその事情を知らず、同人らが本件建物から外出しようとし、又は、外出から帰つてきたところであると思つた。米井執行吏は同人らが藤原サチヨとその夫であることを確かめたうえ、債務名義である和解調書にもとづき近日明渡執行を行なうことがあることを予告した。藤原夫婦は同執行吏に対し、本件建物内に印刷機械五台外関係物件があり、これにより藤原サチヨが印刷業をしているもので居住者のいないこと、(ロ)建物(公簿上居宅)には同人ら夫婦ら以外の居住者のいないこと、本件建物の明渡を求められることは己むを得ないが多少の猶予をほしいこと、しかし他日強制執行されることがあることを理解したこと等を応答し、後刻作成される同日の執行調書の債務者欄に署名捺印した。しかし藤原夫婦は、右印刷機械類が仮処分中であること、藤原保男ならびに旧会社に対する本件建物立入等禁止仮処分のあることは、同執行吏に告げなかつた。米井執行吏は、右応答等に特に不審を抱くべき点もなかつたので、これを信じ、本件建物の占有者は藤原サチヨであると判断し、本件建物内には入らず、屋外から内部をうかがう程度にとどめ、その北側路上や東側空地を見廻り、強制執行をする際屋内の物件を搬出する場所のあることを確かめた。同日の右予告手続は午後六時三〇分頃終了した。もつとも、米井執行吏は、前記のように本件建物が一見して二個の建物であると認識できない状態にあるため、本件建物を(イ)建物であると考え、執行調書にも目的物件として(イ)建物と同敷地のみを掲げた。しかし、右予告の際、(ロ)建物がいずれであるかを特に確認しなかつた。

次いで同年七月四日の本件強制執行は、宝泉商工からその代理人安部里見が、人夫十数名を連れて出頭し、午前六時三〇分頃から開始された。米井執行吏が、このように早朝から行なつたのは、債務者の事後処理の時間の多いこと等をも考慮し不動産明渡執行は一日の内早く済ませるという通常の例によつたものである。米井執行吏らが本件建物に臨んだ時、原告会社の始業前であるため本件建物の出入口は施錠されていたが、人夫がこれを開いた。その頃藤原保男が本件建物に来合わせたので、米井執行吏は、本件建物階上事務室内において、同人に対し強制執行をする旨を告げたところ、同人はその趣旨を理解し、後刻作成される執行調書の債務者欄に債務者の夫として署名捺印した。その際も藤原保男は宝泉商工から強制執行のあることを知らされて特に早朝から本件建物に来合わせていたものであるが、米井執行吏にはその事情が判明しなかつた。米井執行吏の指示により、人夫らは、本件建物内の一切の動産(但し、仮処分中の物件《後掲印刷機械類》を徐く。)を本件建物の北側路上、東側空地に搬出した。本件建物階下工場には印刷機械類(手差式菊全版オフセツト二馬力モーター付二台外一二台)計一四台が設置されており、米井執行吏がこれを搬出させようとすると、安部里見は同物件はすでに宝泉商工が所有権を取得した物件であるから搬出に及ばないと告げ、昭和三五年一月二〇日付旧会社清算人藤原保男作成名義宝泉商工宛譲渡証書を提出した。そこで米井執行吏はこれを信じ同物件を搬出させなかつた。屋外に搬出した物件一切は、藤原保男が、藤原サチヨ所有の物件であると称して米井執行吏からその引渡を受けた。但し、一部炭籠の類から反古の類までの物件は、原告会社の社員であり、かつ、これらの物件の保管者であると称する藤原保男が、原告会社の物件としてこれを引き取つた。その他使用にたえない雑品類一切は藤原保男においてサチヨの所有物件として所有権を放棄したので屋外に搬出されなかつた。なお、本件建物階上事務室内には原告会社名を表示した帳簿類が存在したが、米井執行吏はこれを点検していない。

米井執行吏は、以上一切の行為を終えた頃になつて、本件建物階下北側の壁面の見えにくい個所に大阪地方裁判所二反田正三執行吏代理今西義充が同年四月七日付で掲げた、興陽紙業株式会社から原告会社ならびに旧会社に対する前記印刷機一四台の現状維持仮処分決定を記載した、縦五〇センチメートル位(約一尺四、五寸)幅七〇ないし八〇センチメートル位(約二尺四、五寸)のベニヤ板の公示札を発見した。安部里見ないし藤原保男は米井執行吏に右仮処分はすでに解放されている旨を告げたが、同執行吏は直ちに二反田執行吏に電話で仮処分中ならば右物件を引き取るよう求めたところ、調査の上回答する旨の返事しか得られなかつたので、安部里見に保管を命じた上、空屋となつた本件建物を安部里見に引き渡して本件強制執行を終了した。安部里見は本件建物の出入口に板張りをし釘づけとした。右執行終了は午前八時三〇分頃である。米井執行吏は明渡執行の予告のときと同様に、明渡執行をした本件建物を(イ)建物のみであると考え、執行調書の目的物件には(イ)建物と同敷地のみを掲げた。

ところで、右本件強制執行の最中午前七時三〇分頃平日どおり本件建物に出勤してきた石田弥三治は、直ちに、これを原告会社役員米井忠孝外一名に急報した。石田弥三治は本件建物に入ろうとしたが、人夫にはばまれ入ることができなかつた。間もなく米井忠孝は本件建物にかけつけたが、米井執行吏に対して本件建物の占有者が原告会社であること等を申し出なかつた。米井忠孝と石田弥三治は藤原保男を見付け同人に事態を問いただしたが不得要領の返事しか得られなかつた。

以上のとおり認められ、〈証拠省略〉は信用できず、ほかに右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

四、以上の次第であるので、本件強制執行は、国の公権力の行使にあたる公務員である米井執行吏が、その職務の執行として、本件建物の占有(直接)者が原告会社であるのに、これを藤原サチヨであると誤認した上なした強制執行であるから、明らかに違法の行為というべきである。

そこで、右違法行為が米井執行吏の故意又は過失によるものかどうかについてみるのに、米井執行吏が故意に、すなわち本件建物の占有者が原告会社であることを知りながら、あえて本件強制執行をしたような事情を窺い得るような証拠は何もないので、以下過失の有無を検討する。

本件の場合は、藤原サチヨの夫藤原保男が旧会社債権者と不和を生じ原告会社取締役の職を退き、原告会社から本件建物の占有を奪い返そうと種々工作をした末、強制執行に籍口してその占有を失わしめようと企て、急遽、宝泉商工との間において、宝泉商工に本件建物の占有を得せしめるため宝泉商工に本件建物明渡(同敷地引渡)をすることを狙いとする起訴前の和解をして宝泉商工に債務名義を取得させたうえ、宝泉商工と緊密な連絡のもとに、宝泉商工が米井執行吏に委任した本件強制執行に際し、藤原サチヨとともに、米井執行吏に対して、不動産明渡執行予告の手続以後終始藤原サチヨが本件建物を占有(直接占有)し現に本件建物内の印刷機によつて印刷業をしている執行債務者であるごとき言動をし、原告会社の申立に基づく本件建物立入等禁止仮処分を受けていること、右印刷機につき現状維持仮処分のあることを一切秘匿していたものであつて、いいかえると米井執行吏を欺罔して本件強制執行をなさしめたのである。米井執行吏は本件強制執行の着手にあたり、建物明渡(同敷地引渡)強制執行の通常の例により執行債務者たる藤原サチヨないしその夫藤原保男から執行目的物件の占有状態等について説明を受け、右説明を疑わしめるような、たとえば原告会社の表札看板の存在等の特別の事情もなかつたので、本件建物占有者を藤原サチヨと認定したのは当然であつたのであり、すくなくとも本件強制執行の着手にあたつて同執行吏において本件建物の占有者が原告会社ではないかとの疑念を抱く余地はなかつたのであつて、この点同執行吏に過失はなかつたというべきである。

原告は米井執行吏が原告会社従業員の一人につき調査をしなかつたこと、商業帳簿等備付帳簿類を一覧しなかつたことに過失があるように主張するが(原告代理人は、その他の過失の態様を具体的に主張しなかつた。)米井執行吏は、本件建物の所在現場において、執行債務者本人藤原サチヨ及びその夫藤原保男から執行目的物件の占有状態等の説明を受けて藤原サチヨがその占有者であるとの確信・確定をなしたものであり、右認定をするにつき右説明を疑わしめるような特別の事情のなかつた本件の場合、更に他の者についてまでも調査をしなければならなかつたものではない。又、本件建物ないしその一室の内部を全体的に観察するときに備付帳簿類の原告会社名の表示が特に目につく状態で置かれており、ひいては原告会社が本件建物を使用しているのではないかと疑わしめるような特別の事情があつたわけでもない。このような場合にも、なお執行吏に対し執行目的建物内の書類をも逐一点検したうえ、占有状態に関する認定をすることまで要求するのは、多量の執行事務の迅速処理を要求されている執行吏の職務の性質上、適当でないと考えられる。原告の右主張は、いずれも失当である。

なお、米井執行吏は、宝泉商工代理人安部里見が昭和三五年一月二〇日付譲渡証書を提出して既に宝泉商工の所有に帰している旨告げた印刷機械(手差式菊全判オフセツト二馬力モーター付二台外一二台)合計一四台を除き、本件建物内の動産のすべてを搬出し、これを藤原保男に引き渡した頃になつて、興陽紙業株式会社から原告会社及び旧会社に対する右印刷機一四台についての同年四月七日付で二反田執行吏代理今西義充が掲示した現状維持仮処分公示札を発見したのである。右公示札は比較的大きくなく、しかも見えにくい個所に掲示されていたのであるから、米井執行吏が、本件強制執行の最終段階までに、これを発見できなかつたことについては、直ちに過失があつたとは断じ難い。安部里見の提出した前記譲渡証書は右仮処分公示札日付よりも前の作成日付であるから僅かの注意を払えば右譲渡証書によつて右仮処分から窺われる権利関係を否定できるものでないことは明らかであるし、又、安部里見、藤原保男が右仮処分は解放ずみであると告げたところで、他に何の資料もないのに右言明だけから右仮処分の消滅を認定すべきでもないので、同執行吏も二反田執行吏に電話連絡をし、もし仮処分中のときはその引取をするよう求めたのである(執行吏執行等手続規則五四条参照)。ところで、前示仮処分公示は、前記のように原告会社及び旧会社の両社を債務者として本件明渡執行の日から約三ヶ月以前に執行された前記印刷機械類の現状変更禁止の仮処分の公示であり、米井執行吏は前記のいわゆる予告の際本件執行債務者たる藤原サチヨとその夫保男に出会い同人から同人が本件建物で印刷業を営んでいると告げられ、さらに本件執行開始に当つてもサチヨの夫保男に出会つており、他方本件建物には原告会社を表示する表札等は何もなく、本件執行中原告会社側からの本件執行に対する抗議も受けなかつたし、米井執行吏が右公示を発見したのは約二時間にわたる本件執行の最終段階であつたから、本件建物の占有がサチヨにあるものと確信していた米井執行吏が右公示を発見したからといつて、本件建物の占有が原告会社にあることを(本件執行開始当初から)知るべきであつて、その注意を欠いていたものといわなければならない。

五、したがつて、原告の請求は失当として棄却すべきである。

第三、訴訟費用

民訴法八九条を適用する。

(裁判官 山内敏彦 平田孝 高升五十雄)

物件目録〈省略〉

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